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VICアカデミー「英国式アート教育-「問い」と「物の見方」のヒント」
2026年 03月 11日
VICアカデミーとは、弊社理念にある「学習と成長」の実践の1つとして開催しているVIC社員及び関係者のための
勉強会です。
「英国式アート教育-「問い」と「物の見方」のヒント」
講演者:現代アーティスト 高遠まき 氏
実施日:2026年1月30日(金)
【講演者プロフィール】
社交ダンスのプロダンサーを経て渡英。ロンドン芸術大学でパフォーマンスアート、ロンドン大学ゴールドスミスで哲学を修め、ロイヤル・カレッジ・オブ・アート情報体験デザイン修士課程を首席で修了。哲学・民俗学的アプローチを基軸に、テクノロジーと身体・アイデンティティの関係性を主題とした作品を制作。空間インスタレーション、立体造形、映像など多様なメディアを横断しながら表現活動を展開し、ロンドンのVictoria and Albert Museumをはじめ世界各地でパフォーマンス作品を発表。帰国後は外資系コンサルティング会社にてデザインリサーチャーとして新規事業開発プロジェクトに参画。
【主な展示歴】
(2025年)
Art Living Towers ギャラリー(大阪)・大室の杜玉翠個展(静岡)・広島福屋百貨店グループ展(広島)
Study:日韓国際アートフェア(大阪)・Osaka Art & Design 2025(大阪)・大阪高島屋ギャラリー個展(大阪)
(2024年)
劇団あやめ十八番ステージセット(東京)・DESIGNART TOKYO(東京)・東京アメリカンクラブFrederick Harris Gallery(東京)・GINZA ART SESSION in GINZA SIX(東京)・THE GALLERY GINZA / 大蔵山(東京)・Osaka Art & Design(大阪)・山本屋ギャラリー(鹿児島)・銀座三越ギャラリー(東京)・Magpie Gallery(東京)・ANAクラウンプラザホテル(広島)・NEW ENERGY 新宿(東京) など
■プロフィール
長野県の南実はプロの社交ダンスダンサーである。当時はクラシックやラテン音楽に合わせて、二人で踊ることで生まれる力に魅了されていた。しかし、社交ダンスのペアの理想の身長差信州、駒ヶ根・伊那市という自然豊かな場所で生まれ育った。キャリアのスタートは現代アーティストではなく、は10cmと言われており、身長170cmの私がダンス用のハイヒールを履くと180cm近くになり、日本で理想的なパートナーを見つけるのは至難の業であった。そこで20代後半の時、ダンスの本場で学びたいという一心で、ロンドンへ渡る決意をした。
■ロンドンでの学び
ロンドンでの生活は、自身の価値観を根本から揺さぶるものとなった。
当初は、キャリアアップを目的としたビジネススクールへの進学も検討したが、当時世界的に注目され始めていた「デザイン思考」という概念に触れ、心が動いた。それは単なる美の追求ではなく、クリエイティブな視点で社会課題を解決するアプローチであり、ダンサーとして培った「身体性」を別の形へ昇華できる可能性を感じた。
意を決して飛び込んだセントラル・セント・マーチンズ(CSM)は、まさにカオスそのものであった。布団を体に巻きつけて歩く学生や、既存の枠組みを破壊することに命をかけるような、クレイジーで面白い面々に囲まれる日々。そこで私は、ダンスの経験を活かした「パフォーマンスデザイン」を専攻した。身体の動きをいかに空間や装置、そして社会的なメッセージへと接続するかという模索は、刺激に満ちていた。
しかし、学びを深める中で、単なる表現の面白さ以上に、物作りを支える「概念(コンセプト)」の強度が重要であることに気づく。表現の「形」を作る前に、その「核」となる論理が必要なのだ。
そのため、別の大学院で西洋哲学や歴史の基礎を徹底的に叩き込み、最終的にロイヤル・カレッジ・オブ・アート(RCA)へと進んだ。
そこでは、高度な理論と自身の表現をいかに高次元で融合させるかという、理論と実践の往復に没頭することになった。
■アートの歴史と「概念」の発見
アートの長い歴史を紐解くと、そこにはかつて技術や宗教、権力に紐づいた厳格なヒエラルキーが存在していた。頂点に立つのは、歴史や神話を描き、知的なメッセージを伝える「歴史画」である。次いで「肖像画」「風俗画」「風景画」と続き、ただの物を描く「静物画」は、最も知性を必要としないものとして一番下に置かれてきた。
しかし、19世紀の産業革命と写真技術の登場が、その前提を根底から覆した。「本物そっくりに描く」という技術の優位性が失われたとき、アーティストたちは「何を描くか」から「なぜ描くか」、あるいは「アートとは何か」という問いそのものへとシフトしていった。
その決定的な転換点となったのが、マルセル・デュシャンの「便器」に象徴される、コンセプチュアルアートと言われる作品だ。視覚的な美しさや職人的な技巧ではなく、既製品に新たな定義を与える「思考」や「概念」そのものに価値を置くコンセプチュアル・アートの哲学は、私に大きな衝撃を与えた。見て楽しむだけでなく、脳で理解し、問いを投げかける。このプロセスこそがコンセプチュアル・アートの醍醐味だ。
一方で、世界のアート市場における日本人のシェアはわずか1%程度に過ぎない。この現状を突破するには、単に「日本らしいもの」を感覚的に作るだけでは不十分だ。村上隆氏に代表されるように、日本の文化やサブカルチャーを西洋の論理(コンテクスト)に緻密に接続し、戦略的にプレゼンテーションするような能力が必要である。
西洋が構築してきたアートのルールを理解した上で、いかに独自の価値を定義し、土俵に乗せていくか。その戦略的な視点こそが、グローバルな舞台で表現を続けるための生命線である。
■ワークショップ
(参加者が目をつぶって音楽に合わせて絵を描くワークショップを行った)
「上手に描くこと」を目指すのではなく、左手を使ったり、自分の中にある感情を色や線に乗せてもらう。同じ曲を聴いても、一人として同じ絵にはならない。誰かが決めた正解ではなく、自分自身の原体験や心の揺れを紙の上に表現すること。それこそが、アートの本来の姿であり、自分と向き合うプロセスとも言える。
■英国式アート教育
イギリスのアート教育が日本と決定的に違うのは、入試にデッサンがなく、徹底的に「思考のプロセス」を問われる点だ。「なぜ、今のあなたが、この時代にこれを作るのか?」「あなたの尊敬する人は?」「逆にアンチヒーローは誰? それはなぜ?」といった問いを常にチューターから突きつけられ、深く掘り下げられる。
求められるのは完成された美しさではなく、何を調べ、どうしてその答えに行き着いたのかという論理的な説明である。
だから絵が下手でも構わない。金融や生物学など、異なるバックグラウンドを持つ人がそれぞれの哲学をアートに持ち込む。
また、個人競技ではなく「コラボレーション」が重視されるのも特徴だ。私自身、サウンドアーティストやデザイナーと協力して制作していた。苦手なことを克服するより、得意なものを伸ばし、チームで補い合う。この「STEAM教育」の現場では、文系・理系の枠を超えた総合的な探究がアートへと昇華される。
また、技術は誰かと協力すれば補えるが、自分だけの信念やアイデンティティは誰にも代えられない。流行に流されるのではなく、自身の内側にある心象風景を言語化し、批判的思考(クリティカル・シンキング)を持って表現し続けること。それがイギリスにおけるでアート教育の核心である。
■自身の作品の紹介
代表作の「モンスターシリーズ」では、自身の失恋や孤独といった負の感情をバルーンの「妖怪」として可視化し、ロンドンでのパフォーマンスを通じて個人の恐怖をユーモアや共感へと昇華させた。また、場所固有の歴史を扱うサイト・スペシフィック・アートや、亡き父の記憶が宿る南極の氷を用いた染色作品の制作を通じ、深い悲しみや家族との繋がりを、希望ある表現へと転換していった。
近年は、不変の物質である石と、3Dプリンター等のテクノロジーを融合させたり、僧の座禅の所作から着想を得た、生命の誕生をテーマにするなど、物質と精神性が交差する新たな生命のあり方を探求している。
■これからの拠点と、問い続ける姿勢
現在は、長野県伊那市にある築150年の大きな古民家を買い、新たなアトリエを作っている。
現代アートに向き合う時、私は常に自分に問いかける。「なぜ、今のあなたが、これを作るのか?」と。自分の内側にある心情や原体験、そこから湧き上がる「やりたい」という純粋な気持ちを言語化し、問い続けること。その姿勢こそが、表現者として最も大切なことだと信じている。
