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VICアカデミー「お笑い芸人『ユリオカ超特Q』の来し方往く末」

2022年 11月 30日

VICアカデミーとは、弊社理念にある「学習と成長」の実践の1つとして開催しているVIC社員及び関係者のための
勉強会です。

「お笑い芸人『ユリオカ超特Q』の来し方往く末」

講演者:お笑い芸人 ユリオカ超特Q氏 1968年4月1日生まれ(54歳)

百合岡 英之(ゆりおか ひでゆき)
出身地: 兵庫県城崎郡日高町(現:豊岡市)
血液型: B型
身長:168cm
最終学歴:立命館大学産業社会学部
師匠:大竹まこと
出身:スクールJCA2期(1993年入学)
事務所:プロダクション人力舎→ASH&Dコーポレーション→オイコーポレーション→トップ・カラー→トルバ
活動時期:1994年 から
趣味:プロレス観戦・美術館巡り・アイドル・80年代歌謡曲研究
資格:美術検定2級・教員免許(社会科) ・剣道初段

■お笑い芸人になるまで
*プロレス同好会*
 出身は城崎温泉で知られる兵庫県豊岡市で、高校生までそこで暮らした。ラジオを聞いたり、プロレスとお笑いが好きな普通の田舎の高校生だった。大学は立命館大学の産業社会学部に進み、そこでプロレス同好会に入った。今考えると、このサークルに入ったのが後ですごく役立った。プロレスは好きだったが、さすがにプロレスラーにはなれないな、と思い、この同好会で実況アナウンサーをやっていた。学園祭などで学生同士が闘う。とにかく集まって盛り上げてくれればいいというものなので、実況を聞かせる。「さあ、誰々と誰々、闘っておりますが、この二人、実生活では大の仲良しです!」「さあ、まだ単位が取れていない!」とか言うとみんな笑ってくれる。一番多いときには千人くらいが見ていて盛り上がる。僕の解説でみんなが盛り上がる、という快感が今の原点になっている。

*サラリーマンになる*
 当時はバブルで就職活動にいい時代だった。一番の理想はプロレスの中継をやっているテレビ局に入って、アナウンサーになること。全部のテレビ局を受けたが、全部落ちた。そして、ソニーPCLという編集プロダクションの会社に入った。毎朝満員電車に乗って通勤。営業をやって、テレビ局に行ったり、楽しいこともあった。ところが、サラリーマンになって1年半くらいのとき、駅に行くと歩けなくなった。会社を休んだりはしないが、無理だな、と思った。帯状疱疹が出た。それで毛が抜けたという説もある(言ってるのは本人だけだが)。医者にストレスですと言われた。その後も、ストレスや悩みごとはあるが、帯状疱疹は出ていないので、あの時が人生で一番悩んでいたのだと思う。お笑いは好きだったが、芸人なんて、なんの保証もない世界に飛び込むのはいくらなんでも無理だなと思っていた。大阪に住んでいるから、お笑いも見に行けるし、それで満足できるかな、と思っていた。

■お笑い芸人へ
 その頃、大学で仲の良かった友人に、仕事の後、お笑いを見に行こうと誘われた。小さな小屋で、まだテレビにも出てないお笑い芸人が出るライブが面白いから行こうと。見に行ったら面白くて。トミーズさん、浅草キッドさん、光浦靖子さんといったゲストの方も出ていて、お客さんもたくさんいて、若い女の子も来ている、そんな中で、自分と同じか、ちょっと下くらいの歳の人たちが笑いを取っていた。楽屋もしっかりしてないので、トイレで一緒になったりして身近に感じた。テレビ以外でお笑いを見たのはそれが初めてだった。その頃は、まだ知られていなかった宮迫さん、藤原さん、ほっしゃん。さんなど、若手が出てしのぎを削っていた。そういうのを見て、大学生のときに人を笑わせた快感も思い出し、またやりたい、という気持ちが出てきた。
 そこで、大阪のラジオ番組に出ていた大竹まことさんに宛てて、「弟子にしてください」とハガキを書いた。吉本新喜劇も見ていたが、自分のタイプではないなと思っていた。大竹まことさんは、かわいたムード、おしゃれなムード、毒舌なムードもあって、憧れていた。そのハガキが読まれて、大竹さんからラジオの生放送中に電話がかかってきた。「うちのメンバーはみんな四か国語しゃべれるが、君はしゃべれるのか?」「君は何人の女性とつきあったことある?100人つきあってないとメンバーになれない」等、冗談を言われるが、気の利いたことは返せなかった。「いま何やってるんだ?」「サラリーマンです」「辞めないのか?」と訊かれて、まだ誰にも言ってないのに、「辞めます」とラジオで言っちゃった。「面白いハガキ書いてきたら、考えてやるよ」と言われたが、そもそも大竹さんは弟子を取らない人で、今考えるとうまくかわされたのかな、と思う。
 このラジオの次の日、後輩に「昨日ラジオ聞いたんですけど」と言われ、「うわっ」となった。「辞めちゃうんですか?」と訊かれ、「まだ誰にも言ってないから、だまってて」と言った。会社にも親にも彼女にも言ってない。でも、なんか、動き出しちゃった。大竹まことさんが所属している人力舎が、スクールJCAという関東で初めてのお笑い養成学校を開校すると知り、そこに行くと決めて会社を辞めた。父や伯父、祖父が学校の先生という環境で、親には当然反対された。当時付き合っていた彼女は、兵庫県の教員試験に受かっていて、一方の自分は東京に行ってアルバイト生活になる、と思うと、無理だな、と泣く泣く別れた。
 JCAには、50万円くらい払って入学するが、多くが途中でいなくなってしまう。自分の同期は約50人いたのが、1年で20人くらいに減った。1期生にはアンジャッシュの児島さんがいて、2期生だった自分の同期には、ダンディ坂野さんや、東京03の頭脳と言われている飯塚さん、渡部健さんがいた。入学して1年経ち、自分にも相方ができたが、卒業公演が3週間後に迫ったとき、相方が小説家になりたいと言って、急にいなくなってしまった。コンビはすぐに見つからないので、ピン芸人として暫定的に一人でやることにした。 それから27年経っちゃった。その当時はYouTubeもないし、参考にするものがない、自分で作るしかなかった。事務所からは、「お前は一人だと無理だから、コンビ探せ。それまではとりあえず一人でやっとけ」と言われたので、本当はいまもまだ探している途中かもしれない。最近うっかりして探してなかったが。

■師匠の言葉
 ラジオでは弟子入りを断られたが、芸人になって5,6年経った頃、事務所の社長が大竹まことさんに「お前のこと憧れて芸人になった奴がいるから、面倒見てやってくれないか」と言ってくれて、大竹さんの事務所に移った。付き人になり、かばん持ちとして、テレビタックルなどいろんな番組についていったりしていた。その時に、大竹さんに言われたことがある。いろんなお笑いのブームがある、ボキャブラ天国、レッドカーペット、エンタの神様、そういったところで、周りの人が先に売れて行く。M-1やキングオブコントも始まり、自分の同期や後輩が売れていくのを見て、自分はこの先どうなるんだと焦ったりする。若手芸人で勢いがあって、バラエティで活躍して、そういうところに行きたくて、みんなが目指すが、その位置はいつのまにか変わってしまう。だから、大竹さんは「みんなが行きたがるところじゃなくて、お前だけの島をつくればいい。お前だけの独自の場所を目指せばいいよ」と言ってくださった。

■これまでの活動と今後
 漫談という一人しゃべりに重きを置いて、センターマイク1本で、道具や映像を使ったりもせず、今、世の中で起きていることを話す、なおかつ、テレビではなく、リアルタイムでいま来ているお客さんを笑わせる、90分間、ノンストップでしゃべるというライブを半年に1回、続けるようにしている。Q展といって、次で32回目。ずっと更新していくのは大変だが、続けるのは大事で、どっかで見てくれてる人がいる。ツイッターやブログも同じで、たとえば、三谷幸喜さんが知ってくださっていて、『行列のできる法律相談所』に出演されるとき、自分のモノマネをしているユリオカ超特Qという人がいるから、その人を呼んで欲しい、と声をかけてくださった。
 『とんねるずのみなさんのおかげでした』の細かすぎて伝わらないモノマネでは、藤波辰爾さんの真似をやらせていただいた。長州力さん、アントニオ猪木さんのモノマネをする方は多いが、藤波辰爾さんのモノマネをする人はあまりいない。活舌悪い、早口、声がこもっている、悪いところが三つ揃ってる。お客さんがみんなプロレスファンなわけではないので、最初の頃、たとえば、爆笑オンエアバトルでは、藤波さんのモノマネをすると、女性のお客さんから「よくわかりません。なんなんですか?」とすごく評判が悪い。でも、そこでも大竹さんに「お客さんが好きとか嫌いとか関係ない、お前が情熱を持ってこのネタを伝えようとしている、それが滑稽なんだ、そこが面白いんだ」と言っていただいた。15年くらいやってると、だんだんお客さんも、根負けして、笑ってくれるようになる。
 先日は、受験の年の夏期講習前の中学生に話をしてくださいと言われた。国語辞典には、みんな調べないと思ってか、油断してるようなのがある。擬音語とか普通調べない。たとえば、「ねばねば」で調べると「べとべとすること」と書いてある。「べとべと」を見ると「ねばねばすること」と書いてある。ちょっとお役所的な。ちょっとうち分からないんであっち、ねばねばのほうに聞いてください。で、ねばねばの方にいったら、いや、べとべとのほうに聞いてください、みたいな。こういうネタをやった。そうしたらすごく笑ってくれて、学校の先生から「ユリオカさん、あの子の笑顔初めて見ました」と言われた。実はあの子は、受験だけではなく、家庭のほうでも悩みを抱えていて、我々の前では一度も笑顔を見せない、そんな子がユリオカさんのネタ見て笑ってくれたと。そんなことは考えてなかったが、何かしら役に立つこともあるのかなと。
 お笑いにもいろんな種類があるが、自分は漫談という一人しゃべりをやっている。一人で全部決められるので、その喜びもあるが、ウケなくても、お客さんが来なくても、すべてが自分の責任。それでも、自分にしかできないお笑いをやって、大人の方に笑っていただきたい、それが自分の道かな、と思っている。 これまで28年やってきて、誰もが知るような大活躍をしているわけでもないが、いろんな知り合いもできたし、これからもできるところまではやらせていただきたいと思っている。

■テレビ出演
ヒルナンデス!(NTV)・行列のできる法律相談所(NTV)・踊る!さんま御殿!!(NTV) ・ 有吉反省会(NTV)?・99.9-刑事専門弁護士-SEASON?(TBS)・アメトーーク!(EX) ・SKE48学園(スカパー!) 他
■書籍
僕たち、プロレスの味方です/ユリオカ超特Q・ケンドーコバヤシ共著(双葉社)
■CD
HAGE =RAPーハゲ革命★始まりの合図ー
■レギュラー番組
●初回放送毎週水曜日 23:30~24:00 FIGHTING TVサムライ
 「新日本プロレス大作戦DX」(リピート放送あり)
●毎週金曜日19:00~20:00 VOICE CUE(FMみしま・かんなみ)
 「ユリオカ超特Qのらっしゃい!Radio」
●毎週木曜日更新 アプリラジオ 勢太郎の海賊ラジオ
 「ユリオカ超特Qのピカピカ高速船」
■ユリオカ超特Q 単独ライブ 90分ノンストップ漫談「第32回 Q展」
日時:2022年12月11日(日)14時から/18時から
会場:ハイジアV-1
前売:4,000円