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VICアカデミー 「メディアの不易と流行」

2023年 09月 05日

VICアカデミーとは、弊社理念にある「学習と成長」の実践の1つとして開催しているVIC社員及び関係者のための
勉強会です。

「メディアの不易と流行」 ー新聞を読むとき、テレビを見るとき、チラッと思い出してほしいことー

講演者:株式会社BSテレビ東京 常務取締役 藤野啓介氏
実施日:2023年8月23日(水)

藤野啓介
1961年 8月生まれ 横浜出身
1985年 日本経済新聞社に入社、記者として企業の取材を主に手掛ける
1992年 ロンドン、フランクフルトに計5年駐在
1994年 南アフリカ総選挙を現地で取材(ネルソン・マンデラ大統領が誕生)
2004年 週刊誌「日経ビジネス」の副編集長
2012年 日経電子版を担当するデジタル編成局に異動
2018年 株価などマーケット情報の専門チャンネル、日経CNBCに出向
2021年 BSテレビ東京の役員に就任(経営企画、技術、SDGs担当)


■メディアの変遷
【15世紀】印刷の登場…印刷物の大量生産が可能になる
【16世紀】新聞の登場…情報伝達速度の向上
【20世紀初め】電波の登場…かなり広い地域に発信できるようになる
【20世紀末から現在】インターネットの登場…SNSで誰でも自由に発信できるようになる

■日経新聞記者時代
1985年に入社で、記者だけで同期が85人だった。これは現在に比べるとものすごく多い。当時は新聞の部数も伸びていることに加え、紙面も増えていた。広告が入るからだ。当時は、「広告を掲載したい」という会社に、「今日はもう入らないから、待ってください」と断る時代だった。要するにバブル時代だ。とにかく広告がとれてしまうものだから、紙面が増える分、記事も書かなければいけない。だから、新人でもどんどん記事を書かされた。 また、入社するとまず「発表もの」より「独自もの」という姿勢をたたきこまれた。記者クラブで発表されたことや、首相が発言した事よりも、自分で見つけてきたこと、独自で発掘したことの方が重要だということだ。独自ニュースを大きく扱うという傾向が日経にはあったため、記者が「特ダネです」と持ってきたら、そちらの方が大きい扱いを受けることがあった。新聞記者というのは単純で、自分の記事がいかに大きく掲載されるかというのは、快感だった。つまり、紙面の扱いの大小は、ニュースの重大性とは必ずしも一致しない時代だったともいえる。この辺は、後で述べるがインターネットの登場で大きく変わった。2004年からの日経ビジネス副編集長時代には「日経のような記事は書くな」という教えがあった。理由としては、日経新聞と読者層が重なるためだ。「日経新聞で読んだ記事をまた日経ビジネスで読まされたって面白くない」という話だ。

■新聞記事と記者の変化
私が入社した当時は、朝刊の締切は大体夜中で、新聞の紙は、トラックで運ばなきゃいけないので、遠隔地ほど早い締め切りだった。一番早いと大体20時頃で、それから22時、23時、最後の締切は首都圏で24時とか1時とかだった。
だから、特ダネはもう首都圏だけでいいなんてこともよくあった。理由としては、新聞社は各社で早刷りの紙面を交換する習慣があり、遠くに運ぶ紙面に特ダネを載せるとライバルに教えてしまうことになるからだ。交換の時には、何もないふりをして、最後の最後に誰もが驚く特ダネを載せるというのが、まさに私が教えられた記者として重要なことの一つだ。現在は電子版で掲載したら、もうその時点で特ダネとして成立する。だから、極端にいうと、18時に日経電子版にすごい記事が載れば、その時点で日経の特ダネだ。紙の時代はなかなかそういう発想はなく、朝起きて新聞を広げた時に、読者を驚かせてなんぼという懐かしい時代があった。締め切りが無くなったというのは、現場の記者は大変だと思う。電子版の記事を書いた後も、追加情報があったら補足・修正していくので、きりがない。 昔は、朝刊が終わったら、夕刊の締め切りまでない。夕刊の締切は昼なので、その後は夜まで取材がなければ記者クラブのソファで休憩して、また朝刊に書くという感じだった。東日本大震災の時は、トラックが走れないと新聞が運べないので、電子版によって情報を伝えることができた。 日経電子版ができたのは2010年だが、経済情報は元々電子版によく馴染んだ。経済情報はどんどん更新されていくので、日経と電子版というのは、その点で非常に相性が良い。現在、多くの新聞会社で、紙の新聞の部数が減少しているが、日経に関しては、電子版があることでなんとか生き残っていくのだと思う。

■インターネットという隕石が落ちた
メディアについて論じる際、インターネットは無視できない。インターネットの最大の影響は「誰でも発信できる」ことだ。これまでは、極端に言うと、メディアが色々な人を代表する形で情報を発信してきた。しかし、現在は色々な人が色々なことを発信して、サイバー空間を駆け巡っている。これの良い点は、様々な情報に接することができることだと思う。
Z世代が、ここまで政治や社会問題に関心を持ち、声を上げる必要性を感じているのはなぜだろうか。それは、生活の中心にSNSがあるからだと思う。SNSを開けば、学校で学んだことが必ずしも正しくないことを説明するコンテンツが、日常的に目に飛び込んでくる。テレビや新聞だけでなく、多種多様な情報源から学びを得ることができるのは、Z世代が生まれて以来の生活習慣である。このような状況下では、当然メディアの影響力は低下していく。世論の形成、娯楽や教養、生活情報の提供といった影響力が、マスメディアからネット上のコンテンツに移動したのである。

■視聴率の低下は時代の象徴
地上波やBS(衛星)放送のテレビ番組は原則として365日24時間、休むことなく放送している。どの番組をどの時間帯に放送するかを決める仕事をテレビ局では「編成」といい、少しでも視聴率を上げるために頭を使うのが、この編成だ。
例えば、8月末の土日に日本テレビが「24時間テレビ」を放送するが、これはお化け番組で、他局から視聴率を奪うことができるので、ほかのテレビ局は男性の高齢者など24時間テレビをあまり見ないと思われる層を想定した番組を編成して、少しでも視聴率の落ち込みを防ごうと知恵を絞る。テレビ東京は「警察密着24時」を放送している。 つまり、これまでは同じ時間帯の他局の番組を常に意識しながら番組を編成してきたわけだが、スポーツとニュース以外は録画でいい、と感じている人が増えると、こうした編成という仕事の持つ意味が薄れてきてしまう。ここに、世間で言われる視聴率の低下の実情が見える。なぜならば、世間一般で言われる視聴率は、番組表の時間通りにテレビを見たリアル視聴の世帯や個人だけを対象にしており、録画機能を使ったタイムシフト視聴まで含めていないからだ。録画による倍速視聴ではCMが飛ばされてしまうこともあり、スポンサー側からすると望ましくない面もあるが、タイムシフトまで含めて視聴率をとらえないと、テレビの広く伝える力を過小評価してしまうことになりかねない。 一方でドン・キホーテではチューナーのない、つまりテレビ番組の映らないテレビ型の受像機が販売されている。Youtubeなどネットのコンテンツが見られたらよいらしい。これも時代のひとつの象徴といえるだろう。 加えて、Z世代の「テレビ懐疑」の広がりも、視聴率の低下の一因かもしれない。テレビ懐疑とは、「テレビやマスコミの言ってることって本当?」ということだ。ネットと情報を照らし合わせた時に、テレビは政治やスポンサー、芸能事務所などへの忖度があって伝えたいことを伝えていないのではとか、自主規制に縛られているのではないか、という疑いを持つ人が増えているのかもしれない。余談だが、昨年末に関西テレビが制作、フジテレビ系列で放送されたドラマ「エルピス」は、長澤まさみさんの演じる報道番組のキャスターが主役で、番組制作の「もやもやした大人の事情」に切り込んだ秀作だった。

■情報の精度〈検証プロセス〉と鮮度〈スピード〉
情報のスピードがものすごく早くなっている。 情報の精度〈検証プロセス〉と鮮度〈スピード〉はどちらも重要だが、私と同じ世代の記者は、基本的にみんなが新鮮に思ってくれる記事をまず取材する。そして、その情報が本当に正しいか検証するために、誤報にならないよう時間をかけて調べることを教えられていた。もちろん精度を高めるには、どうしても鮮度が落ちていくという面がある。ネットの時代になり、世の中は加速度的に精度よりも鮮度の方を優先するようになっているような気がする。例えばイーロン・マスクが何か発言したとすると、もうその時点で情報として成り立っている部分がある。となると、彼の発言がどういう意味を持つのかなんてことを考えているよりも、彼が次に何を言うかという方に関心がいくこともある。ともすれば、鮮度が精度を駆逐していくという面があることを知っておくことは重要だと思う。

■評価軸の変化
メディアの立場から言うと、強大な影響力を発揮しているのが、Googleなどのプラットフォームだ。 アルゴリズムを用いて検索結果を操作し、人々の行動や思考まで左右することが可能になった。これまでは、「今日の一面トップはこの記事にしよう」とえらい人が決めたり、デスクから「こっちの方が重要じゃないのか」みたいなことを言われて、自分は違うと思うけど「しょうがないか」みたいなことがあったが、電子版が普及してからは、その評価軸が変化した。電子版ではどの記事がどれだけ読まれたかという数字がはっきり出るので、ある意味客観的なデータとして、「こういう記事を書けば、みんなに読んでもらえる」ということを記者自身もリアルに感じることができる。どんな記事を書けばページビューが増えるか、といった発想は一方で、閲覧数だけ稼げばいいのかという議論にもなるわけで、ネット時代の良い面、悪い面の両方がここにある。