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VICアカデミー「メキシコと銀座と私 ー泣いて笑って仕事してー」

2024年 12月 18日

VICアカデミーとは、弊社理念にある「学習と成長」の実践の1つとして開催しているVIC社員及び関係者のための
勉強会です。

「メキシコと銀座と私 ー泣いて笑って仕事してー」

講演者:猿田よし香氏
実施日:2024年11月21日(木)

猿田よし香(さるた よしか)
【略歴】
1974年 メキシコ生まれ
1987年 アメリカ移住
1992年 日本移住
1999年 銀座クラブクラブ入店
2009年 銀座クラブクラブチーママ就任
2011年 乳がん罹患 7月より治療に専念
2014年 乳がん再発?肺転移
2018年 治療終了
2021年 乳がん発見より10年が経ち、無事卒業
2024年 定期健診の頻度が年一回に減少 


■自己紹介
 約50年前、父がメキシコで日本食の飲食店を始めたため、自身もメキシコで生まれ育つ。その後、後述の事情によりアメリカのカリフォルニア州に家族で移住。最終的には単身で日本に帰国し、銀座のクラブでアルバイトを始める。10年後、チーママに就任し、自分の店を持とうと思ったタイミングで乳がんと診断される。一度は寛解するも、すぐに肺に転移。抗がん剤治療が功を奏し、2018年に治療が完了し、今日まで再発無く過ごす。

■メキシコという国について
1.愛国心が強い
独立記念日には国民のほぼ全員がお祝いする程、愛国心が強く、オリンピックでメキシコが勝った日はお祭り騒ぎ。
2.親日
メキシコ人は日本のアニメが大好きで、女の子はキティちゃん、男の子はピカチュウなど、日本のものをあげると何でも喜んでくれる。また、日本のインフラや文明についても、メキシコよりもずっと進んでいると考えており、ウォシュレット、交通機関の正確さ、安全・清潔さ、便利さに感銘を受けている。さらに、何年間にもわたり、常に日本食ブーム。父が店を始めたときは、メキシコに日本食店は2、3店舗しかなかったが、現在では、メキシコ人が経営する店も含めると、約7000店舗もの日本食店がある。そういった事情もあり、日本食店の評価に厳しくなってきている。
3.明るくて怠け者
「トドビエン(大丈夫、なんとかなる)」というのがメキシコ人の口癖。陽気で前向きというと良いようだが、叱られても反省せず、現状に満足して向上心も無いため、日本人がメキシコにビジネスで進出する時は、国民性の違いで苦労することが多い。
4.嘘つきで、謝らない
家族が病気になったなど、嘘をついて仕事を休むことが非常に多い。そのため、日本では考えられないことだが、後日診断書を持ってこないと給料を減額する等といったルールが無いと、際限なく休まれてしまう。また、嘘がばれても絶対に謝らないという国民性は、昔は謝ってしまうと自分の悪事を認めたことになり、殺されてしまう世の中だったことから来ている。
5.マスチモ(男性優位主義)
メキシコ人の女性は怖いくらいに気性が激しいが、最終的には男性の決定に従う傾向にある。現在は女性大統領だが、傀儡であり前大統領が実権を握っている。
6.マフィア
マフィアが強い力を持っている。メキシコでの商売で生き残るためには、マフィアとのつながりが不可欠。マフィアを排除しようとした警察や政治家は、すぐに抹殺されてしまう。
7.食うか食われるかの社会
夜に女性が一人で出歩くことはできないし、手荷物は少しでも目を離すと必ず盗まれる。しかし、それは用心しなかった人が悪い、という考え方。店舗のトイレットペーパーは必ず盗まれてしまうため、どの店でもペーパーホルダーには持ち去り防止の鍵がかかっている。


■父に起こった事件からアメリカへ移住
 私が小学生の頃、父が誘拐された。数人にとり囲まれて目隠しをされ、車で郊外まで連れていかれた。そこで、殴る蹴るの暴行を受け、父自身も死を覚悟したが、命までは取られなかった。犯人は見つかっていないが、恐らく、解雇された従業員が徒党を組んだものと考えている。この事件の他にも、メキシコの強烈な光化学スモッグによって、私と弟が煙アレルギーになってしまったこともあり、メキシコとの国境にあるアメリカのカリフォルニア州サンディエゴに家族で移住。

■アメリカという国
 アメリカに行けば、皆がチャンスを与えられるという、アメリカンドリームを夢見てアメリカに渡ったが、簡単には行かなかった。
1.差別社会
日本人差別が色濃く、中学校では誰からも口を聞いてもらえず、友達は一人もできなかった。そこで、アメリカで生まれ育った日本人の友人から、「アメリカでは、学力やスポーツなど、何か突出したものがなければ、日本人は認めてもらえない」というアドバイスを受け、高校ではチアリーダーの試験に応募。チアリーダーに選ばれるのは極僅かな優秀者だけで、学校中の憧れの的。私は器械体操をやっていたこともあり、バク転など難易度の高い技を取り入れ、見事合格。翌日から、昨日まで口を聞いてくれなかったアメリカ人たちが、昔からの友達のように気さくに話しかけてきて、その変わり様に驚いた。
2.社会プログラムの充実性
高校からは、自分の将来の進路に合わせて科目を選択できる充実したプログラムが組まれており、生徒全員にカウンセラーまでつく。また、障がい者への公的援助も充実しており、産前の羊水検査で障害児の可能性が出たときからカウンセリングが受けられ、金銭的にもほぼ100%一生国が援助する。アルコールや麻薬の依存症のための治療施設や社会復帰のためのケアも充実している。
 このように、アメリカにはいい面も悪い面もあったが、やはりどこまで行っても非白人への差別からは逃れられず、今後大学に行っても、就職をしても、差別を跳ね返すために余計なエネルギーを使わなければならないことを考えると、もうアメリカには住めないと思い、日本へ単身帰国。

■銀座の世界について
 帰国した当初はOLをしていたが、友人からの勧めがあり、銀座のクラブでホステスのアルバイトを始めた。銀座では、OLをしていては絶対に出会えないような、政治家や企業の役員、芸能人などの著名人と知り合えることに衝撃を受けた。特に印象に残っているのは、リュック・ベッソン監督。
そういった方々と会話をするためには、マナー、言葉遣い、知識、教養、ふさわしい身だしなみ、心遣い等を身に着けておく必要がある。私が働き始めたばかりの頃、オーナーママから、「どう着飾ってもホステスに向いていない。あなたを雇っている理由はスペイン語と英語が喋れるということだけ」と言われプライドが傷つき、一念発起して先述したようなあらゆることを学んだ。
 また、クラブの特殊な点に永久指名制度がある。気に入ったホステスを一度指名すると、同じ店では指名替えをすることができない。しかし、自分のお客様が一日に何卓も重なると、全てのお客様と閉店後のお食事に行くことはできないので、自分の代理でそういった席に行ってくれるような、後輩を育成することが非常に重要。
 毎日、16時頃から銀座に出勤してお客様からの連絡を待ち、そのまま店に出勤し、土日はお客様とのゴルフで1週間働きづめという生活を続けたせいか、チーママに就任した後、37歳の時、定期検診でステージ3Bの乳がんが見つかった。そのため、致し方無く夜の世界を引退。

■癌の闘病生活
 何軒もの病院にかかったが、最終的には、若くして癌になる原因を、「自分を犠牲にして働きすぎる人」と明言してくれたことが決め手で、国立がんセンターで治療を受けることになった。手術、抗がん剤治療、放射線治療、分子標的治療など、できる治療は全て行った結果、一度は寛解したが、3年後に乳がん再発。全摘手術で再度寛解するが、その3か月後に両肺への転移が発覚。実はその3か月の間、父の仕事を手伝うためにメキシコに行っていたが、怠惰な働き方するメキシコ人だらけの職場に激しいストレスを抱えていた。主治医からは、このストレスが、肺への転移の大きな原因ではないかと言われている。最終的には抗がん剤治療が功を奏し、肺がんも完治。様々な癌治療をしてきて感じたことは、がん保険の重要性。

■まとめ
 今回話をしたのは、ベールに包まれた銀座の世界のことを、いかがわしい場所のように誤認するのではなく、正しく皆さんに理解してもらいたかったから。色々なことがあったが、もう一度生まれ変わっても、やはり自分は銀座で働きたいと思う。